1989年のアメリカ映画で、第62回アカデミー賞で脚本賞を受賞した作品でもあります。
厳格な進学校に赴任してきた型破りな教師の授業から、生徒たちが「人はどう生きるべきか」の本質を学び、実践していくという内容。
テーマの普遍性から今日でも人気の衰えない作品であり、元サッカー日本代表で現在はJ1ガンバ大阪の監督を務めている宮本恒靖さんが座右の銘に「いまを生きる」を採用するなど、まさに多くの人々の生き方に影響を与えた作品になっております。
いまとなっては古典となった本作をこの令和の時代に鑑賞してみたのですが、やはり感動はひとしおでした。
規則や形式に囚われず、物事を様々な側面から捉え、なにより自分のやりたいことを大切にしながら生きる。
そんなメッセージが激動のドラマ的展開によって鮮烈に表現された、まさに「映画」の見本となるような作品です。
あらすじ
舞台は全寮制の名門進学校ウェルトン・アカデミー。
「伝統」「名誉」「規律」「美徳」の四柱をモットーとする厳格なこの学校に、一人の英語教師が赴任してくる。
彼の名前はジョン・キーティング。
型に嵌った受験勉強対策授業ばかりが行われているウェルトンにおいて、キーティングは奇抜な授業を敢行する。
教科書の内容を「くだらない」と一蹴してページを破らせたり、生徒たちを中庭で行進させながら詩を朗読させたり、詩の一節を叫んではボールを蹴らせたり、教卓の上に生徒を立たせて、ありふれた物事でも異なる視点から眺めるように促したり。
そんなキーティングの授業に、ニール・ペリーやノックス・オーバーストリート、チャーリー・ダルトンといった一部の生徒たちは感銘を受けてその意識を変えていく。
そして、あるときニールは、学校年鑑の中にウェルトン在学時のキーティングの写真が載ったページを発見する。
ニールが興味を抱いたのは、キーティングを紹介する文章の中にあった「『死せる詩人の会』主催者」という文言。
森の中にある洞窟に集まり、相互に詩を読みあう会だったとキーティングから聞いたニールは、自分たちの手で「死せる詩人の会」を復活させるため仲間を募っていく。
ニールの呼びかけに対して集まった七人の生徒は「死せる詩人の会」を復活させ、洞窟内での語らいを通じて自己を発見し、自らが信じる道を進もうとする。
しかし、その道は容易なものではない。
いけすかない恋敵、抑圧的な両親、規律を重んじる学校。
立ちはだかる壁を、彼らは乗り越えることができるのだろうか.......。
感想
勉強と規則ばかりの学校生活に風変りな教師が現れ、突飛もない授業をして生徒たちを目覚めさせていく。
このストーリーライン自体はありふれたものであり、日本では特に「管理教育」とまで称される学校環境に対するアンチテーゼとしてテレビドラマなんかになったりすることも多いテーマです。
古くは「金八先生」、平成のドラマでは「女王の教室」が該当するでしょうか。
しかし、なんといっても本作は見せ方が上手い。
生徒たちに教科書のページを破らせる、教卓の上に立たせる、詩の一節を大声で喋らせる。
心がどきりとするシーンを、映像作品ならではの視角に訴えかけるやり方で入れてくるので、思わず惹き込まれ、画面から目が離せなくなってしまいます。
特に、教卓の上にキーティング自らが立ち、その後、生徒たちも順番に立たせて教室を上から眺めさせる、というシーンは「物事を異なる視点から見る」の見せ方として印象に残る斬新な演出だといえるでしょう。
この場面が本作を象徴するシーンとして語られることにも納得できます。
また、暗い森の中に存在する洞窟の中で男子生徒たちが詩や音楽を愉しみ、お互いに本音をぶちまけ合うというシーンもベタながら心にぐっとくるものがあります。
思春期にはこんな瞬間が「あるべき」なのだ、それが、甘く切なく輝かしい青春の条件なのだ。
誰もにそのような感慨を抱かせるような場面づくりが非常に巧みで、まさに「自分の殻を破る思春期の少年たち」というカテゴリにおける王道の傑作という風格を醸し出しています。
そして、情熱を持って主体的に人生を生きることに目覚めた少年たちは、夢や恋愛、学校改革を追い求めていきます。
役者という夢を自覚し、演劇に力を入れるようになるニール。
一目惚れした女性にアプローチをするノックス。
学校を共学化させるよう訴えるチャーリー。
しかし、それら全てが上手くいくわけではなく、成就するもの、悲劇に終わるもの、その両方があるという結果に落ち着く点も本作の傑出した側面でしょう。
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